2016冬 矢筈ヶ山(大休峠避難小屋)

今年最後の山を終え,下山報告をするために携帯を取り出した。山行中に総務のMtから一斉送信の連絡メールが入っていたようだ。気になったが先ず下山報告を行い,それを開封した。その内容はTの訃報だった。Tは大山を最も知る偉大な登山家で,教えを受けた者は数知れない。教えを受けた末席の一人として,Tとの山を想い出しながら今回の報告することを許していただきたい。
  1. 日時:2016.12.31(土)
  2. 行先:矢筈ヶ山
  3. メンバー:Ym,Mk,会員外(1)
  4. 行動記録:
香取P(08:30)→甲川分岐(09:30)→大谷(10:40)→大休峠避難小屋(11:30)→大谷(13:30)→甲川分岐(14:30)→香取P(15:30)
  1. 行動概況:
香取で星を眺める
30日まで,クタクタになって働いた。翌,早朝に起きる自信がなく,そのまま香取で前泊した。メンバーと,星空を眺めながらシングルモルト,グレーンウイスキーを一本ずつ空にする。翌朝,透明度のたかい,締まった空気の冷たさに,顔を洗われ目を覚ます。東雲の薄明かりが雪原を照らし,その先に座る三鈷峰の姿までも映し出した。雪山初体験のメンバーからは,緊張した強張りと,飲み過ぎた後悔とが見てとてた。出発点で追い越されたSUVの轍を踏み進んで行く。ほどなくそれはなくなり,バージンスノーのラッセルがそこから始まる。70cmの重雪を先頭の私はスキーで,後からスノーシューの二人が続く。初めて大休峠への雪道を進んだのはちょうど3年前の同じ日,大晦日だった。ルートもスキーも,なんの知識もなく,Tにお願いして連れて行っていただいた。その山は,当時の私にとって,衝撃的なショックを感じた山となった。冬のそこは,一度踏み入れると帰ってこれない樹海のようだった。スキーは思い通りに扱えず,何十回も転んだ。起き上がろうと雪に手を突くと,手は頭までハマり起き上がれない。雪の中で汗まみれになり,疲労で脚がグラグラした。使い慣れたスノーシューならこんなに無様な姿を晒さずに済むのにと,醜態を晒す自分を恥ずかしいと思った。スキーを外してツボ足で歩こ
うと思ったが,腰までハマる深雪に一歩も踏み出すことができず,泣きそうになった。自分から志願して連れてきてもらいながらも,不恰好な姿で申し訳無く思った。
大谷を行く
結局その日はヘッデンをつけての帰還となり,家に着くと紅白が始まっていた。スキーなんか捨てたろかと思っていた時,Tからアドバイスをいただいた。「ここで諦めないで,スキーを続けて欲しい。私を山に連れて行ってくれるように成長しろ」と。とても嬉しかった。この山を境に,私は山に向かう考え方が変わったように思う。それから,スキーを履いて毎週のように香取から大休峠へ一人で向かった。帰って山便りに
記録を載せると,コメントに厳しい指導が書き込まれた。特に,安易に撤退した時には厳しく叱られた。安全な山をするには,強くなることが必要で,厳しい山を気迫で凌駕し,計画を貫く経験を積む必要があるということを教わった。私は山便りに山行記録を載せる時,いつもTを想いながら書くことが好きだった,Tに認めて貰える山をやった時には最高に嬉しかった。夜間雪中行軍は嵐の雪の夜を7時間かけて歩いた。Tがずっと先頭でラッセルをした。Tはタフで本当に強かった。視界の無い吹雪の中で,不安な顔をする私を見て豪快にガハハと笑う。普段は繊細でしなやかな感じがあるが,厳しい山では豪快でとてつもなく大きくな
る。
霧氷の美しい矢筈ヶ山
人として優しさに溢れ,山屋として偉大だった。私はその人間性に憧れたし,明確な目標として、Tのような登山家になりたいと強く思った。その気持ちは今も変わらないし、一生かけて,後ろ姿を追い続けたいと思う。Tが入院されている時,浴室で髪を切らせてもらったことがある。そのことが,今の私のわずかな慰めとなっている。髪を切りながら,YCCの仲間たちへの想いを語って下さった。優しく思いやりに溢れた口調で,勇気が出る,将来を期待する言葉を下さった。常に,若者に期待し,育てる優しい目で,励ましの言葉を下さった。そのことで,人生が変わるような希望が湧き,清々しく前に進むことのできた人は,其処彼処に咲く一輪の花のようにたくさんあるだろう。Tの魂は,大山に溶け込み,清らかな甲川の水や三鈷東谷の湧水となって,健気にひっそりと咲く一輪の花に,輝きを与え続けてくれるに違いないと想っている。大休峠の小屋に着き,キノコ鍋の思い出をメンバーに話した。歩き方から,キノコ鍋の味付けまで,Tに教えていただいたことばかりだ。小屋を出るとき,慣れない歩きで足に違和感を持つ者があり,矢筈は諦め香取まで帰った。すでに陽は傾き出し,橙色のそれが三鈷峰から小矢筈までを輝やかせていた。繊細でしなやかなTの姿のような山容だった。寂しさと哀しみにも勝り,感謝の気持ちで溢れている。私はTと出会えて幸せだ。そして,これからもTを想いながら大山に登ることができることを幸せに思う。特に,これからの大晦日の矢筈ヶ山登山は,Tを想いながら毎年続けて行きたい。大山の魅力を通して人生の楽しみ方を,教えて下さったTに,心から哀悼の誠を捧げます。ありがとうございました。記録寄稿:Mk


2 件のコメント :

  1. この前はありがとうございました。
    年末から年始にかけて、
    色々な意味でお世話になりました。
    Mkの山行、とても楽しいです。
    またご一緒させてください。
    自分の話をすると、
    もっともっと知識と、技術と、経験と、
    なにより山に対する想いを重ねないといけないと
    痛感した2016年末と2017年始の山行でした。


    T氏の件、衷心よりお悔やみ申し上げます。
    自分のような若輩者が
    ここに書き込みするのも恐れ多いのですが。。。
    言わないと伝わらないので。。。
    2016年1月23日。
    思えば一年前にTに同じルートを案内してもらいました。
    その際、
    「大谷に出たら杉が見えなくなるまではとにかく登らないといけないよ」
    「木をよく覚えておいて。下は植林されてるから小さな木が一律に立ってる。それは下る方。下ってはいけないよ。滑落する恐れがあるから。上の方は植林の手が届いてないから大きな木が多くて大きさもふぞろえ。なにかあったら思い出して。それで方向を見失わないで。冷静にそれを判断できれば、君は中国自然道を歩いてるから」
    「雪がなかったら気づかないけど、雪があったら大休峠までって小さな谷がいっぱいあるんだよ。しんどいかもしれないけど、それを一個一個ちゃんと登っていかないと、大休峠まではつけない。」


    一つ一つ大山を教えてもらいました。
    自分は山を始めて三年程度の若輩者で、
    そんな自分に話すのも億劫なくらい
    Tにとっては当たり前のことで
    初歩的なことだったかもしれませんが、
    一つ一つ丁寧に教えてもらいました。
    全部を吸収して、自分の山にしたいと思って
    全身を耳にして聞きました。
    本当に感謝しています。

    どうか安らかな眠りを。
    その想いが山に還り、
    いつまでも山を愛し、
    山を見守ってくれますように。

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  2. 私もMkと同様Tに向けて書いてきた…いや違う、皆さんに向け私自身に向けて書いてきたのだけど、Tに読んで貰う事、Tがどう見るかおそれを含みつつ楽しみに待ちました。
    もうコメントが入る事は無い。私は路頭に迷っています。
    とはいえこれまで同様、心のままに好きなように歩いて行きます。自分で考える山でないと意味がない。感性と身体を強く。

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